2019年09月27日

第7回 メイプルイン幕張の歴史を紐解く – その1

 
■はじめに
2年前の2017年に、開業25周年を迎えたメイプルイン幕張は、さらなる飛躍を目指して、さまざまな取組みを始めています。

 
前回、第6回目のコラムでは「環境への取り組みを社内で共有していきます」と題し、みっつデザイン研究所の廣谷さんが、その一例や研修の様子を報告しました。

 
このような取組みを通して何度も意見交換を繰り返すうちに、幕張本郷という地域の歴史やホテルの建設過程などを、一度、しっかりと振り返っておくことが、ホテルの未来だけでなく、実際に宿泊されるお客さまに対しても、実は極めて重要なことはないか…との認識に至りました。

 
過ぎ去っていった日々の中に埋もれてしまっていることを想い出したり、遠く忘れ去られてしまった記憶を辿るというのは、懐かしさや郷愁を駆り立てることにつながりますが、それと同時に、過去の軌跡の延長線上に現在があることを再認識する過程であり、これからの未来を考えるための大切な示唆にもなると考えます。

 
そのような背景から、メイプルイン幕張を運営する幕張実業の松田榮子専務に、幕張本郷とホテルの歴史を紐解いて頂くことになりました。今回のコラムは、そのインタビューの内容をお伝え致します。

 
それにあたり、写真集「メッセの街は海だった – 幕張の60年|編集:安藤操 / 写真:鈴木仁太郎・林辰雄」と、メイプルイン幕張の建設当時の写真アルバムをお借りしました。

 

 

■幕張本郷の近代の歴史を紐解く
松田榮子専務には、まずメイプルイン幕張が建設された幕張本郷の昔について、その想い出や体験について語って頂きました。写真集を広げてのインタビューは、予想以上に盛り上がり、たくさんの話を聞くことができました。その内容を、以下、箇条書きにてお伝え致します。

 

□地域の歴史
まずは、地域の歴史について触れたいと思います。東京湾の一番奥に位置する幕張地区は、大規模な埋立てが行われる前、遠浅の海が広がっており、海苔の養殖が盛んに行われていました。

 

1 かわなやあおさが採れる浜
・ 風が吹いた次の日に行くと海苔が浮いているので、それを採っていた。
・ かわなを売ると、当時で10円ほどになり、それが当時の女性にとって、冬の時期のちょっとした小遣いになった。
・ 海苔のかき揚げが名物で、浅間神社のお蕎麦屋さんがつくるものが有名だった。
・ 千葉県産の海苔は、すぐに溶けるという特徴がある。

 

2 遠浅の海と船
・ 船は、すぐ近くの河口から沖に出していた。
・ 遠浅のため、澪(みお)と呼ばれる海底を浚渫した船の道を通って沖に出ていた。
・ 澪から外れると船が動けなくなって大変だった。
・ 稲毛にある浅間神社には、船を並べて、その上に板を敷き詰めてつくった道を通って海に入ってお参りしていたりもした。

 

3 潮干狩りでにぎわっていた時代
・ 幕張の浜では、1973(昭和48)年頃まで潮干狩りができたが、その当時に採れる貝はすでに天然ではなく、養殖になっていた。
・ アサリやアオヤギを潮干狩りする人たちが観光バスでたくさんやって来て、とても賑わった。
・ 当時の入場料は10円くらいで、アサリ採りをしていた。
・ 幕張の辺りは、旧14号線沿いの一部が海岸線であった。

 

4 貝灰
・ 母親の時代は、幕張で貝灰を作っていた。
・ 貝灰は「しっくい」の材料になった。
・ 幕張出身の作家である椎名誠氏が、「過ぎし楽しき千葉の日々」と題して、東京新聞ウェブ版に寄稿しています。

 

5 埋め立てのこと
・ 1955(昭和30)年には、すでに埋め立てが始まっていた。
・ 周囲の工業化が進み、漁業で生計を立てることが次第に難しくなり始めていた頃だった。
・ 保証金も貰えたことから、埋立てには反対はしなかった。

 

6 でんぷんと醤油
・ 幕張1丁目だけでも、でんぷん工場が4軒あった。
・ 幕張には醬油屋や酒造所がいくつかあり、この地域で消費されていた。

 

7 幕張本郷の地名の由来
・ 幕張本郷の「本郷」は旧来からの地名である。
・ 昔は「何丁目、何番地」などの住居表示はなく、幕張本郷駅の辺りを「本郷」と呼んでいた。

 
松田榮子専務_インタビュー写真_12_180919DMDK_PMK  松田榮子専務_インタビュー写真_02_180919DMDK_PK  松田榮子専務_インタビュー写真_04_180919DMDK_PK

▲参考にさせて頂いた写真集(左)とインタビューの様子(中央・右)

 

次回は、メイプルイン幕張が開業した当時の資料をもとに、これまでのホテルの歴史を振り返りたいと思います…。

 
■文責
一級建築士事務所 エネクスレイン

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